2016年12月13日

ところで「ガントレットマッチ」って何だろう?

「新日本プロレス」2017年1月4日開催の「Wrestle Kingdom 11」で行われる「NEVER 6人タッグ選手権」がガントレットマッチで行われると発表がありましたが




"ところで「ガントレットマッチ」って何?"

と思われた方がいらっしゃるかもしれません。

簡単に説明するとAとBがまず対戦。Aが勝ったと同時に今度はCが登場し対戦。今度はCが勝つや否やDが現れ戦った勝者がその試合の勝者となる、って事は

後から出てきた方が有利!

って事になるのですが今回その辺りは6人タッグと言うことで
作戦次第では最初に登場したチームが3チーム勝ち抜けって可能性も有りますね。

過去に海外で行われたガントレットマッチの動画を掲載しておきますので予習としてご覧になって下さい。





少しややこしいですがTNAでは時間差バトルロイヤル(所謂"ロイヤル・ランブル"形式)の事を「ガントレットマッチ」と呼んでるようです。





New!
NWA Midwestで行われた、ガントレットマッチでのタッグ選手権。今回の新日本プロレスはこのルールで行われる模様。


いずれにせよ、勝利を得るには最後まで勝ち残ることが絶対条件なので過酷なルールには間違いないです。












posted by タカハシキヨシ at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっとした戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

ところで、最近新日本プロレスで見かける外国人のセコンドは誰なんだろう?

ここ最近、新日本プロレスのセコンドに何やら見かけない外国人の方が。




気になって、海外無期限修行中のジェイ・ホワイト選手に尋ねた方が。
どうやら新しく入った留学生のようで、名前がアーロン・ヘンリーという選手の模様。
そこまで情報頂ければ後は検索するのみ…。

いました!ニュージーランドの選手のようです。

身長:180cm、体重:95kg(105kg説もあり)
ニュージーランドのオークランド出身。2010年にデビューしている選手のようです。
アマチュアレスリングの基礎がありMMAのトレーニングもしていたようです。
あのマーク・ハントにも教えを受けていたとか。





詳細は又デビューが決まり次第、新日本プロレスから発表があるでしょう。
たぶん、デビューもすぐなんじゃないかな、とは思います。

twitter:twitter.com/megas_aaronius
Facebook:https://www.facebook.com/AaronHenryNZ/
instagram:instagram.com/AaronHenryNZ
posted by タカハシキヨシ at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっとした戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月17日

今年も「7月17日」が訪れました。

20160716173312847.jpg

この写真は、1984年2月26日。旧大阪府立体育会館で行われた、全日本プロレス「1984エキサイト・シリーズ」でのもの。第7試合に組まれた「ジャイアント馬場、天龍源一郎 vs. ブルーザー・ブロディ、アレックス・スミルノフ」の一戦。この数日前にUN王者になった天龍と御大ジャイアント馬場が対戦相手ならそれ程悪いカードではない。しかし「超獣」は入場シーンから異常に荒れていた。

チェーンを振り回しながらの入場は常日頃からであり驚くものではない。しかしこの日は違った。テーマ曲「移民の歌」が流れ始めるとチェーンのジャラジャラという音は確かに聞こえた。そして控え室から会場への扉が開いた瞬間…。

それがこちらの写真である。我々カメラを構えて待ち構えるファン(当時は少年ファンが殆どである)の群にいきなり控え室に置いてあったであろう灰皿を躊躇なく投げつけてきたのだ。灰皿と行ってもこのサイズのものである。ドーンと大きな音を立て私の足元1m程の床に落ちた。ボクは何が起きたのか一瞬理解出来ず呆然と立ち竦んだ。怪我人が出なかったのは幸いであった。試合の方も荒れた結果となりノーコンテストのドロー裁定であった。

先ほどこの日の第7試合と言ったが、はっきり言うとセミファイナル前。メインはジャンボ鶴田がこの3日前に統一戦を制したAWA世界ヘビーとインターヘビー王座をかけニック・ボックウィンクルとのリターンマッチ。そして問題のセミファイナル。王者チャボ・ゲレロにマイティ井上が挑戦するインターナショナルJr. 選手権。「サイズの小さい選手を嫌っていた」というブロディが選手権試合といえども自身の試合より後に組まれていた事をよく思っていなかった可能性は充分に考えられます。

そしてこのシリーズの外国人エースはブロディとはいえ、シリーズの目玉がジャンボ鶴田のAWA世界ヘビー級王座挑戦であり、自身はスミルノフと組んでの豊橋でのインタータッグ選手権がシリーズ唯一の山場。蔵前国技館でもアンダーカードでしたからシリーズ全体的にイライラしていたのかもしれません。

この翌年、ブロディは全日本プロレスを去り、新日本プロレスのリングに移籍。しかしながらトラブルが続き、87年10月全日本プロレス復帰。最強タッグではスタン・ハンセンとタッグで激突。翌88年4月の来日では日本武道館で鶴田よりインターヘビー奪取。珍しく試合後観客席になだれ込みファンと喜びを分かち合う(リターンマッチで敗北)等、「これから」が大いに期待されていた矢先…。

1988年7月17日、遠征中のプエルト・リコで死去。享年42歳。あの日バヤモンスタジアムのロッカールームで起こった「真実」は、我々は知る由もありません。ただ1つ言えることは我々は「ブルーザー・ブロディを失った」という事実のみ…。

posted by タカハシキヨシ at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっとした戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする